過去の他者性について

 出身地には旧い街道が通っており、そこに住んでいた頃は、時折遠回りになるその道を選んで帰ることがあった。職業(?)柄、あるいは元からの性分として古いものを見たり眺めたりするのは好きで、その街道の道幅の狭さや形、所々に残る屋敷が醸す近世風の趣、恐らく八〇年ほど前に建てられたであろう建物も入り交じる様は、そういった好みを満足させるものだった。それらを見ることの愉しみが何に由来するのかは知らない。あるいは単にそこに含まれた情報量が想像を刺激するのかもしれないし、そうであれば、アンテナの張り方が違えばコピー・アンド・ペーストのニュータウンも同じように楽しめるのだろう。

 

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テンポ正しく生存しましょう

  愛するものが死んだ時には、

  自殺しなきゃあなりません。

 

  愛するものが死んだ時には、

  それより他に、方法がない。

 

 と書いたのは昭和戦前期の詩人中原中也で、「春日狂想」という詩の中でのことだ。中原中也なんていう詩人は、「どんな音楽聴くの?」「ビートルズかな…」とかの受け答えと同じ程度にはもう手垢にまみれているものの、良いものは良い。ことに「春日狂想」は、これまた“let it be”を挙げるぐらいには面白みがないのだとしても、良いものは良い。

 

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終末世界の気分について

 大体くだらない文章を書きたくなるのは眠れないときで、それも単純に生活リズムが狂っているせいで大して疲れてはいないときだ。そういったときは、概ね適度に気分が沈んで適度に頭が働き、けれどもその向く先は全く余分(余分とはなんぞや?)なことであるのが大抵だ。何かを書くくらいなら、するべきことを進めるか(論文も書かなければいけないし、今月いっぱいの仕事も手を付けられていない)ベッドで横になっていた方が良い。けれどもたまには思いつきを書き残しておくのもまぁ悪くはないと思う。

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“いい話”がきらいだ

 “いい話”がきらいだ。ここで言う“いい話”とは例えば家族の大切さとか、友情の尊さとか、もしくは「学生の頃~~~があって今では私の嫁です」とか、老人を労わる話とかそういう類のもの全部だ。これがきらいだ。と言えば、人として何か大事なものを欠いているかのような疑いを向けられるだろう。まずその構造がきらいだ。“いい話”は既に“いい(善い)”話だと決められていて、その判断基準に従うことを要求される。そういう話を少しばかりしたいのだが、先に結論から言っておくと、“いい話”とはつまるところイデオロギー装置に過ぎないという話だ。それが必要なものであるかどうかはともかくとして。

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思想というものが少しわかってきた(気がする)

    思想というものが少しわかってきた(気がする)。というのは、情報として「思想とはこれこれこんなものである」ということを知ったというのとは違って、「上手く説明できないけどベースというのはこういう風に弾ける」みたいなもっと身体的というか、まさしく"体得"したというようなものである気がしている。冒頭から、説明できないものを説明します、と言ってしまった感があるけど、この文章大丈夫なのだろうか。

    結論から言えば、思想というものは選択できるものではなく、ある側面では理性によるものではないということになる。というのも僕は今まで一つ誤解をしていて、思想というものは色んな思想書だとかを読んで内容を知り、比較して、検討して、これが良いと思って選び取るものなのだと思っていた。確かに表層的にはそのように見えるし、そういう風にして「思想を選び取った」とする人も在るだろう(いわゆる転向をするのはこういうタイプなのかも)。例えば、日本の発展のためには民主主義でいくべきだ、とか国家を成り立たせるためには社会主義が必要だ、とかそういう在り方ね。 続きを読む

Creamはいいぞ

 Creamの話をしよう。60年代のバンドのアレである。恐らく世間的にこのバンドを紹介する文言としては、「かの有名なギタリスト、エリッククラプトンが…」という風な書き出しになることは恐らく間違いない。今は電車で家に帰る途中で、駅の本屋でクラプトン特集のギターマガジンを買って読んでいたのだけれど、やはりCreamの解説については(ギターマガジンだから仕方ないとはいえ)クラプトンが中心で、しかも彼が爆音ブルースというスタイルを考え出しブルースロック、ハードロックを生み出したのだというような評価になっていた。こういう評価には僕はけっこう不満がある。

 というより僕はこのバンドのベース兼ボーカル兼作曲者たるジャックブルースを師と崇めているのであって、彼抜きにCreamを語るような暴挙を許せないのである(クラプトンも好きだけど)。とはいえ彼の偉大さを熱弁するところから始めるのもまぁあれなので、Cream=爆音ブルースという誤謬を正すところからいこう。

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健全な、あまりにも健全な

 「健全な精神は健全な肉体に宿る」という言葉がある。ふとこれを思い出して、「文言はこれであってたっけ?」と思ったのでググッてWikipediaのページを見ていたらこんなことが書いてあった。

 近世になって世界規模の大戦が始まると状況は一変する。ナチス・ドイツを始めとする各国はスローガンとして「健全なる精神は健全なる身体に」を掲げ、さも身体を鍛えることによってのみ健全な精神が得られるかのような言葉へ恣意的に改竄し、軍国主義を推し進めた。その結果、本来の意味は忘れ去られ、戦後教育などでも誤った意味で広まることとなった。このような誤用に基づいたスローガンは現在でも世界各国の軍隊やスポーツ業界を始めとする体育会系分野において深く根付いている。[1] 

 驚愕の事実。要するにこの「健全な精神は健全な肉体に宿る」は全体主義のスローガンに用いられた(本来とは意味の異なる)フレーズだという話である。これは非常に示唆的だなぁと思ったのだけれど、そういう風に思ったのは、この言葉について以下のように考えていたからだ。

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